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作家略歴

中村東洸

【初代 東郊 ~粟生屋 源兵衛~】
加賀藩士、禄三百石、藩の命により京に出て業を習う
京焼を好み1798年(寛政10年)から小松にて製陶を始める
楽焼風の陶器に妙を得、巧手の名声を得る
窯印には寿印又は、東郊印をまれに用う
79歳逝去

【二代 東郊 ~粟生屋 源右兵門~】
1822年
陶法を若杉窯の本多貞吉に学び製陶を始める
吉田屋窯、松山窯の主工であり、天保(1830~1844)の末、蓮代寺及び吉竹村に窯を開き前田家の御用を受ける
門下より松屋菊三郎、北市屋平吉、板屋甚三郎、九谷庄三等が出る
まれに父の陶号である「東郊」押印を用う
1863年
73歳逝去

【三代 東郊 ~粟生屋 栄五郎~】
藩内諸侯の命を受け種々の器物を製す
東郊、栄亭などの号を用う
1863年
前田家に召し抱えられ小松より金澤に移り、御庭焼を製す
廃藩により金澤技町に窯を築くも晩年京に出る
1906年
62歳逝去

【粟生屋 四代 加陽庵 東洸 ~中村 仁三郎~】
三世、東郊の養嗣子となり倶に京に出て、陶風を養父に受け、上田丹涯画伯に師事「豊谷窯」を築く
1907年
二条基弘公「東郊」を「東洸」に更められる
1915年
土方久元伯より「加陽庵」の庵号と雅印を賜う
1944年
芸術保存作家・技術保存作家 に指定される

【粟生屋 五代 加陽庵 東洸 ~中村 昌夫~】
京都市立美術工芸学校(現:京都芸大)絵画科卒業後、
楠部弥弌先生に師事し陶芸に従事す    
後父東洸に業を習い清水六和先生の指導さる
五条会 会員と成り老父東洸逝去後、五代東洸を襲名
帝展、文展、日展入選「八回」
1944年
三月芸術保存作家に指定さる
京都府美術工芸作家協会員
全日本美術工芸作家協会員
京都府伝統工芸作家協会員
1960年
永楽即全氏、楽覚入氏等と共に技術保存作家の集まりとして、京都伝統陶芸協会を発起設立する
1975年
61歳逝去

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