1871年 大阪に生まれる 本名は常次郎(常治郎・恒一郎)、秋石・洗耳洞・曲水園と号す はじめ重春塘、のち森寛斎に師事し円山派を学ぶ 早くから橋本雅邦、川端玉章を主領とした青年絵画協会や日本絵画協会等に出品し受賞 1911年 日月会展で日月賞を受賞 1930年 第2回聖徳太子奉讃美術展に『白雲紅樹』で入選 1936年 65歳逝去