1892年 大阪市に生れる 本名好亮 1899年 大阪の南画家小山雲泉のもとに入門し、雲泉没後さらに姫島竹外につき南画を学んだ 1915年 第9回文展に「渓山清趣」(2曲1双)が初入選となり、そのご帝展の第5・8・9回をのぞき毎年官展に出品 1930年 第11回帝展から無鑑査待遇 日本南画院同人で、また画塾墨雲社を主宰 戦後は大美会に所属し、大阪市展の審査員を務めた 1958年 逝去