1868年 東京に生まれる 本名は忠蔵、号は敬中、義英、可得、年忠、南窓、南斎 印名は「可得」「敬中」「敬中畫印」「禍中畫印」「山十敬中」など 1886年 月岡芳年に入門 浮世絵を学び、のち川端玉章に師事して、丸山派を修める 文展・帝展などに出品入選をくりかえし無鑑査となる 川端画学校教授として後進を育成 1934年 逝去