1888年
8月14日山口県吉敷郡秋穂町に生まれる
1904年
京都市立美術工芸学校絵画科に入学
1908年
京都市立美術工芸学校卒業
日本画家川北霞峰に入門
1910年
京都市立絵画専門学校日本画家に入学
第4回文展に「椿」を出品し初入選
1913年
京都市立絵画専門学校卒業
第7回文展に「志摩の波切村」を出品、褒状を受ける
1918年
この頃洋画に転向、鹿子木孟郎の画塾に通う
1922年
京都を引き払い、林重義とともに東京へ転居梅原龍三郎・中川一政・林武らの知遇を得て、指導を受ける
1925年
第3回春陽会展、春陽会賞受賞翌年も同賞を受賞し、1927年春陽会会員となる
1928年
1月、林重義らとともに渡欧翌年4月帰国
1934年
春陽会退会独立美術協会会員となる
尾道に転居
1974年
11月4日、スケッチ旅行中の三次市日下町で寄禍に会い、逝去