1735年
享保19年京都に生まれる
父は皆川成慶(春洞、白洲)で、実弟に国学者富士谷成章(層城、北辺)、甥に国学者富士谷御杖がいる
淇園は号で、名は愿(げん)、字は伯恭(はくきょう)、通称は文蔵(ぶんぞう)、別号に有斐斎(ゆうひさい)がある
1759年
京都・中立売室町西にて門人を受け入れ江村綬の錫杖堂詩社に影響され、柴野栗山や赤松滄洲らと三白社という詩社を起こす
絵画の腕も卓越しており、山水画では、師の円山応挙に劣らずという評価も受けている
1805年頃
様々な藩主の援助を受けて京都に学問所「弘道館」を開いた
1807年
逝去