1870年 愛知県に尾張藩国老石河正基の三男として生まれる 本名は正徳 字は和卿 号は有隣、両鶴軒、千石斎 園田忠監につき土佐派を学び、その後前田正忠に西洋画、織田杏斎に南北合派を師事する 高尚な画風を展開して花鳥画、山水図を最も得意として日本美術協会会員に就任 多くの門下生を育て上げるなど名古屋画壇の重鎮的役割を担った 1952年 逝去