1773年 備中国窪屋郡(現在の岡山県倉敷市)に裕福な酒屋の子として生まれる 幼い頃から絵を描くことが好きで黒田綾山に師事し、19歳で福原五岳に師事 1797年 京都へ移り、四条派の松村呉春に師事して研鑽を積む たびたび書画展観へ出品し、文政度の東本願寺再建では小寝殿のふすま絵などを担当し、また宮中の御用を果たすなど活躍する 呉春の没後、画塾澄神社を開き、塩川文麟や柴田是真、田中日華など、多くの弟子を育成する 1845年 73歳で逝去