1768年
江戸時代後期の歌人
鳥取の下級武士の家に生まれる
号は桂園(けいえん)・東塢亭(とううてい)・梅月堂・観鶩亭(かんぼくてい)・臨淵社・万水楼・一月楼
幼い頃から和歌に非凡の才を発揮し、京に上り香川景柄〈かげもと・1745-1821〉に就学
29歳の時、景柄の養子となり、名を景徳、ついで景樹と改める
桂園と号し、新歌論を展開、和歌革新を行なって幕末の歌壇をリードした
「歌はことわるものにあらず、調ぶるものなり」という、いわゆる「しらべの説」は有名
著述も多く、『新学異見』・『百首異見』などの歌論、『桂園一枝』などの家集を著す
小説家志茂田景樹のペンネームは香川景樹にちなむ
1843年
逝去